登壇者インタビュー

坪井 純子 氏
キリンホールディングス株式会社
取締役副社長
CPO(グループ人財統括)
坪井 純子 氏 に聞く

守りも、攻めも、イノベーション

~キリンの人的資本経営、未来への挑戦~

聞き手:藤元 正(フリージャーナリスト)
坪井 純子 氏
キリンホールディングス株式会社
取締役副社長
CPO(グループ人財統括)
東京大学理学部卒業後、1985年にキリンビール(現キリンホールディングス)入社。技術系の部門を5年経験した後、マーケティングや広報に従事する。2005年にキリンビバレッジ広報部長、10年に横浜赤レンガ代表取締役社長。12年キリンホールディングスCSR推進部長兼コーポレートコミュニケーション部長などを経て、19年に同社常務執行役員ブランド戦略部長に就任。22年に同社常務執行役員人事総務戦略担当に就任し、24年から現職。

1985年3月 東京大学理学部 卒業
1985年4月 キリンビール株式会社 入社
2005年3月 キリンビバレッジ株式会社 広報部長
2010年3月 株式会社横浜赤レンガ 代表取締役社長
2012年3月 キリンホールディングス株式会社 CSR推進部長 兼 コーポレートコミュニケーション部長
2013年1月 キリン株式会社 CSV本部ブランド戦略部長
2014年1月 キリン株式会社 執行役員 CSV本部ブランド戦略部長
2016年4月 キリン株式会社 執行役員 ブランド戦略部長
2019年3月 キリンホールディングス株式会社 常務執行役員 兼ブランド戦略部長
2020年6月 株式会社ファンケル 社外取締役(兼任)
2022年3月 キリンホールディングス株式会社 常務執行役員 人事総務戦略担当
2023年3月 キリンホールディングス株式会社 取締役常務執行役員 人事総務戦略担当
2024年4月 キリンホールディングス株式会社 取締役副社長
2026年8月 現在に至る

1.20年前に女性活躍推進を本格スタート

――キリンホールディングス(HD)は女性社員のキャリア形成とネットワークづくりを支援する「キリン・ウィメンズネットワーク」や、リーダー職の女性比率を2030年に30%に引き上げることを盛り込んだ長期計画(2022年)など、以前から女性活躍推進に力を入れています。遡って坪井さんが入社された頃は、社内で女性活躍の制度はありましたか。
坪井:社会全体でまだ仕組みがなかったですね。私は1986年の雇用機会均等法施行の1年前に新卒で入社したのですが、そもそも当時は理系の総合職を採用している会社がほとんどなく、100社くらいに電話しても会ってもらえる会社がやっと10社ある程度。それも契約社員や補助員での採用が大半でした。それに比べキリンビールは先行していて、私より3代前から事務系で女性の総合職の採用を始めていました。私が入社した年には女性総合職の採用が10人を超えましたが、製造部門の理系としては私が最初でした。

当社で女性活躍に本格的に着手したのは、それから20年たった2006年です。海外駐在の長かった当時の社長の「なぜ日本は女性リーダーがこんなに少いなのか」という問題意識で改革を進めることになったのです。当時は経営職(管理職層)の女性比率が1.7%。トップダウンで始まり、社会で男女共同参画などの活動が進んでいく中、当社も女性活躍のステージを段階的に引き上げ、現在はホールディングス籍で20%近くにまでなりました。現在の採用は、研究、生産・品質保証・開発、マーケティング、営業、デジタル等々機能別ですが、採用で男女の差はありません。特に理系の女性リーダーはまだ相対的に多くはないですが、世代が進むにつれ、その数は着実に増えていくと思っています。

2.多様性が生むイノベーション

――長年にわたって女性活躍に力を入れてきたことが、事業や経営の面でどのような成果として現れてきていますか。
坪井 純子 氏
坪井:やはりイノベーションの加速だと思います。異なる強みや発想、価値観がぶつかって化学反応が生まれます。ジェンダーだけでなく、国籍やキャリア採用、さらに多様な価値観を持つ人財が混じり合ってイノベーションが生み出されていくものだと思います。古くは缶チューハイの「氷結」も女性の開発です。当時のチューハイは年配の男性の飲み物と捉えられていて女性が手を出しにくいイメージがありましたが、「新幹線で女性が飲んでいてかっこいいチューハイ」をコンセプトに開発を進めたそうです。「午後の紅茶」も私の同期の女性が開発チームに参加していました。このように女性が開発に携わった商品がいくつもありますが、女性がというより、女性も入ったチームで多様で新しいアイデアが膨らんでいったのだと思います。女性ばかりがよいわけではありません。多様な人財が強みを持ち寄ることが大事なのです。
――ダイバーシティの観点では、他にどんな採用をしていますか。
坪井:外国籍の方も採用しますし、キャリア採用も増えました。今では、年間の採用の半分以上がキャリア採用です。2025年度の実績だと142人の新卒採用に対し、150人がキャリア採用。4月の入社式には過去1年間に入社したキャリア採用者と新卒社員が一緒に参加するのですが、なかなかダイバーシティに富んだ入社式になっています。

また当社では社員が3、4年をめどにグループ内を異動してキャリアを重ねますが、この人事異動も、職場に新しい「風」を吹かせると言う意味でイノベーションにプラスに働いていると私は思っています。さらにキャリア採用となると、外の会社で違う経験を積んだ人が入ってくるわけですから、本当に「新しい風」になります。

さらに、当社の取締役会は社外役が過半数を占めています。社外役員を含めると女性の比率は30%を超えています。意思決定層の質の向上のための多様性という切り口も大事になります。

3.育休中もキャリアアップ支援

――現状では経営職の女性比率が20%弱とのことですが、2030年に30%という目標達成に沿った形で推移しているのでしょうか。
坪井:実はここまでは順調に来たのですが、今のままでは30%の目標に届かないのではないかという課題意識をもっています。30%というのは物事が動きだす、閾値を超えるという意味でも大事な目標だと思っていますので、何が真因かを深掘りし、いろいろと手を打ち始めています。
――どういった対策でしょうか。
坪井:マインド、制度、環境など要因は複雑です。たとえば新卒ですと早くて30代前半ぐらいから経営職になりますが、これが結婚や出産・育児といったライフイベントにちょうど重なることが多い。少し前までは育児休暇を取得するとその期間中はキャリアがストップしてしまう状況がありました。今では育休中も経営職試験を受験できるようにするなど、細かな制度変更をしています。また、「経営職は忙しそうだし、残業も多そう」というイメージは、男女に限らずライフイベントに差し掛かっている人たちの挑戦を諦める原因になりかねません。当社では会長が国連グローバル・コンパクト(企業・団体が責任あるリーダーシップを発揮し、持続可能な成長を実現するための世界最大のイニシアティブ)の代表理事を務めており、会社として「長時間労働ゼロ」を宣言し、働きやすい職場の実現を目指しています。

4.タイパ・コスパではなく「余白」を重視せよ

――先ほどのお話でご自身の就職活動ではいろいろご苦労されたとのことですが、入社してから何がご自分のキャリア形成に役立ったと考えていますか。
坪井 純子 氏
坪井:技術系で入社して製造現場が希望だったのですが、女性を現場に出すのはちょっと早いといわれる時代で、製造部で情報システムや特許を担当しました。しばらくして「ものづくりに関わりたい」と希望しているうち、今度はマーケティング部門に異動になりました。その後は、広報や横浜赤レンガ(横浜市)の社長を経験しました。全く経験のない、想定外の分野への異動は相当チャレンジングで、異動のたびに挫折感を味わったりするのですが、何度か繰り返すうちに、「アウフヘーベン」という言葉に行き着きました。対立する意見、アンチテーゼを統合し、より高い次元の新しい結論や状態へと導くという意味です。そして、異動に限らず、様々なビジネスの場面で、対立概念を二律背反にせずアウフヘーベンさせていくことが重要だと考えるようになりました。
当社の人財戦略のコンセプト「専門性と多様な経験」にも通じます。専門性と多様な経験は一見矛盾しているように見えますが、専門の軸、強みのアンカーを持ちながら経験の幅を広げていくことに意味があると考えています。マーケティング、エンジニアリングなど、それぞれの強みのアンカーを持ちながら、グループ内の様々な事業で多様な経験をすることで、視野も広がりますし、専門性をさらに磨くことにもなります。それがアウフヘーベンだと思います。同様に様々な事業や軸を越えた越境経験もとても大事だと思います。

これもよく言うんですけれど、昨今は「タイパ・コスパ」を重視して無駄を嫌う傾向がありますね。少しでも失敗したら「無駄な動きをしてしまった」と後悔したりするわけです。でも無駄と余白は違うと私は思っています。無駄は減らす必要がありますが、余白がないと新しいことは生まれない。余白の中にこそ、今の自分にはないもの、アンチテーゼを見つけられるのだと思います。そうした人生の余白を得るには、「回り道をしたり失敗したりしないとダメ」と話しています。

5.失敗から学ぶ組織とは

――その失敗について、日本では短期的な経営目標達成のために失敗は許されないという企業文化が未だ根強いですよね。それとは逆に、失敗を許容し、失敗から学んで新たな成功につなげていく組織やチーム、社員に変えていくには何が必要になると考えますか。
坪井:キリングループは2026年からの新しい長期経営構想「Innovate 2035!」を発表しました。この経営構想実現のため、新たにKIRIN WAYとして、3つの価値観と6つの行動指針を定めました。行動指針はイノベーションが生まれるストーリーになっています。その中で1つ目が「志を高く持つ」、2つ目が社長が就任当初から徹底している「Go to Gemba(ゲンバ)」、そして3つ目に「まず動き、失敗も学びに変える」があります。「志を高く持ち、現場に行って問題の本質をつかんだら、さっさと行動せよ」ということです。英文では「アクト・ファースト(Act First,)」「ラーン・ファスト(Learn Fast)」ですが、ここに「フェイル・ファスト(Fail Fast)」の考えも入っています。歴史の長い組織ほど慎重になり、石橋を叩いて渡る文化が根強い傾向があるものです。そこで、「まずやってみよう」「小さく失敗して早く次に行こう」という部分をあえて強調したのです。その効果かどうかはわかりませんが、昨今は社内でPoC(概念実証:新しいアイデアや技術が本当に実現可能か、想定した成果が得られるかを本格導入の前に小規模なモデルで検証する)という言葉を耳にする場面が増えているのはうれしい傾向です。

もちろん、経営は攻めるばかりでなく、守りもあります。例えば、早く失敗すると言っても「品質保証で失敗してもよいとは?」と当然議論になりますよね。同じフェイル・ファストにしても、品質保証とマーケティングとでは意味が違うはずです。つまり行動指針をお題目として暗唱するのではなく、部門・組織ごとに自分たちの譲れない線はどこまでで、どう行動すればよいかを、それぞれに考えていくことが重要なのです。
――お題目だけではダメで、自分たちがどういうふうに行動すべきかまで考えないといけないわけですね。
坪井:行動指針なので、一人一人が頭で考えるだけではなく、行動につなげなければなりません。それを社内でどうやって根付かせるかが課題になります。誰かが仕事をうまくやり遂げたら「良くできた」と褒めますが、できていない場合には「もっとできる」と機会点に根差した言い方をするようにします。もっとできること、つまり伸びしろです。そしてその場面にKIRIN WAYの言葉を使っていくことで、何がよかったか、何が次の機会かのイメージを具体的に考える場にしていければと思っています。たとえば、先の6つの行動指針の一つに「枠を越える(Leap Beyond)」があります。リーダーとメンバーの1on1ミーティングの際に、「この案件はGo to Gembaの賜物だね」と成果を褒めたり、反対にできていないことについては「もう一歩、Leap Beyondできるかも」と伸びしろを伝えたり、社内での普段のやりとりに行動指針を入れることをトライしています。
――コンプライアンス重視を反映してか、叱責というのはなかなかないわけですね。
坪井:叱責はしないかもしれませんが、ダメなことは明確に指摘する必要があり、そういう場面ももちろんあります。ただ、リーダーの期待に反した結果になったからと言って、当人を叱ったらよくなるかというと、そう簡単ではない。社内のリーダーシップ研修でもよく話すのですが、相手のマインドや行動を変えてもらうことが目的なので、そのために褒めるか叱るかは手段。褒めて変わるなら褒めればよいし、叱ったほうが響く人は叱った方がよい。だから褒めると叱るは手段であり、選択だと。メンバーを前に単に自分の怒りを爆発させているだけのリーダーの行動は、ビジネス上のコミュニケーションとしては全く意味がありません。

6.AI時代の人間の役割

――先ほど、失敗による無駄と余白の違いの話がありましたが、「無駄」と判断した部分をどんどん排除していくタイパ・コスパ重視のような考え方は、合理性追求という点ではある意味AIに近いのかもしれません。AIが一般社会にもビジネスにも企業経営にもますます広がると見られる中、人的資本経営に基づき、人間はどういう役目を果たしていけばいいのでしょうか?
坪井 純子 氏
坪井:読めない部分もあり、難しい課題ですね。「専門性と多様な経験」と言いましたが、AIに勝てる、AIを教育するくらい突出しなければ、シンプルな専門性はAIで代替されていく可能性が高いでしょう。一方、たとえば故障の修理や事故対応、それに営業など現場で人との機微に富んだコミュニケーションが求められる仕事は残りやすいといわれますね。だから「専門性をもちながら多様な経験をすること」がますます必要なのだと思います。 また、体験、体感、経験など、心身に付随する感覚は、人間に残るものといえるかもしれません。あるいは、真・美・善の価値観とか。こう考えると、やはりタフな挑戦、失敗経験や、余白、あそび心などが大事になっていくと思っています。
――AIといえば、キリンホールディングスが2025年7月にグループの経営戦略会議に本格導入した「AI役員」のCoreMateが話題ですね。
坪井:AI役員は導入からほぼ1年経ちましたが、導入当初はトライアル段階でまだまだという感じでした。ところが、AIへのフィードバックも含めて教育していくとみるみるレベルが上がっていきました。最初の時点でやめてしまっていれば、今のAI役員も当然無いわけで、文字通りPoCをやっていたわけです。

AI役員のコメントに対して、役員の受け止めも「新しい視点」「論理的に整理されている」と変わってきました。最近では、会議資料に対し、AI役員から事前質問が来ます。AI役員からの事前質問に回答する形で役員会の議論が始まる場合もあります。

7.AI役員で経営の質を高める

――つまり、AI役員は経営関連の情報をいろいろ分析・提案してくれるだけではなく、議論を深めるような役割も果たしているということでしょうか。
坪井:まだ進化途中の段階ですがフィードバックを繰り返すにつれ、AI役員がどんどん賢くなっていくので、「このスピード感で賢くなっていくなら、いずれ私たちはいらなくなるかも?」と冗談まじりで話したりします。
――人間の役員ではないわけですが、AI役員もある意味、ダイバーシティの一つと捉えられませんか。
坪井:そう思います。大事なのは何をやりたいかです。AI役員は、その多様な意見、多様な価値観を通して経営の意思決定の質を高めるのが目的です。数字は明確なのでやはり財務は強いですね。一方、非財務の観点からも「こういった視点が足りない」という意見は出ますが、こんなふうにしたら良いという提案はまだ多くはないようです。ここは私たちの想像力、創造力の発揮のしどころでしょうか。とはいえ、AIは3か月で世界が変わるとも言われますので、いずれ過去の成功事例などを参照してクリエーティブな意見を出すようになるのかもしれません。

8.最終的に大事なのは人間の決断力

――この分野ではキリンさんが先行しているのでしょうけれど、他社も含めてどんどん経営にAIを導入するようになると、経営陣というよりAIによる企業間の競争が進んでいくことになりませんか。
坪井:AIの進展によって人間に期待される能力として何が残るか。議論はまだまだ続くでしょう。ただ、判断と決断は違うと私は思っています。判断の多くをAIがやってくれるようになれば、企業のいわゆる基本的な戦略は似通ってくるかもしれませんが、最終的には経営がしっかりした意思と哲学を持って何を選択し、どう決断を下すかにかかってくると思います。

私たちはAIがまだない時代を知っているので、AIが間違っているとかAIで仕事が楽になったと感じたりするわけですが、AIが多くの業務を担う時代になってから社会に出てくる世代は、そうしたことを経験していません。当社では10年後に、現在の半分以上の仕事がAIに代替されると見ています。しかし、これは6割の人員がいらなくなるということではありません。新しく生まれる仕事や人間ならではの仕事に寄せていくとか、あるいはAIでも代替可能だけれども若手社員に未経験の領域のタフな経験機会にするとか。結局は人間が最後に残る能力を実務の中で鍛えるということになると思います。

9.失敗を抽象化する

――変化の大きい時代ですから、たぶん若い人もそうでない人もAIも使いながら学び続ける、学び続けないと技術の変化に追いつけない、そんな時代になっていくと思われます。その学び続ける中でも、失敗というのが大きな位置を占めていきそうですね。
坪井 純子 氏
坪井:Fail Firstですが、失敗を振り返り、学びに変えなければ、その先につながる経験になりません。失敗のレビューをしたときに抽象化が足りないと、結局その案件の分析だけで終わってしまう。その案件がうまくいかなかったのは分かっているが、抽象化した分析が甘いと後々のほかの事例の参考にならないのです。だから、何が失敗だったのかをみんなで徹底的に議論することが大切です。小さく生んで失敗をしながら育てていくこと、そして抽象化することが、大きな失敗を生まないことにつながっていくと思います。