クオリティフォーラムアーカイブ

クオリティフォーラム2025 登壇者インタビュー

DX化の時代の中で顧客とともに
TQM、品質経営を進化させる

大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構
データサイエンス共同利用基盤施設
副施設長の
椿 広計(ひろえ)氏に聞く

聞き手:井上 邦彦(ライター)
椿 広計 氏
椿 広計 氏
大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構
データサイエンス共同利用基盤施設 副施設長
統計数理研究所名誉教授
総合研究大学院大学名誉教授
1982年3月東京大学工学系研究科計数工学専攻修士課程修了後、東京大学計数工学科助手、慶應義塾大学理工学部講師、筑波大学経営システム科学専攻助教授・教授、同専攻長、(独)統計センター理事長、統計数理研究所所長などを経て、2024年4月現職に就任。2021年11月、デミング賞本賞を受賞。2010年8月、『設計科学におけるタグチメソッド : パラメータ設計の体系化と新たなSN比解析』(日科技連出版社)などの共著がある。

1. 大学生時代、統計学の(とりこ)

――椿先生は統計学、そして統計学を発展させたといえるデータサイエンスの分野で、長年活躍されてきました。統計の分野に進もうと決められたのは、いつ頃だったのですか?
椿:大学1年になって間もない頃で、それも非常に偶然でした。1975年4月、東京大学教養学部に入学して統計学の講義を受けたのですが、本来担当する経済学部の先生が渡米していたため、その当時は青山学院大学に所属されていた田口玄一先生(2012年逝去)が代わりに1年間だけ講義を受け持つことになったのです。田口先生といえばタグチメソッドの名で知られ、日本の統計学、品質工学の第一人者として有名ですが、当然ながらその当時の私はまったく存じ上げませんでした。それと高校時代に一度だけ生物の実験で統計の解析をやったのですが、それがすごく嫌だったんですね(笑い)。

ところが今でもはっきりと日にちを覚えているのですが、最初の4月23日に受けたオリエンテーションは、情報収集の工学を横断する共通技術を1年かけて講義するという、新鮮で何かすさまじいことが始まるのだと感じました。その後も独特の講義を受けるうちに、統計解析の世界にすごく興味を持つようになり、とくに分散解析、回帰分析、寄与率を計算することが面白くて、結局、私はデータ解析の虜になってしまったわけです。だから工学部の統計学を学べる学科へ進学することは、大学1年の夏休みまでには決断していたといえるでしょうね。
――「広計」というご自身の名は統計を広めるということで、最適な名前を持っているとかつては冗談半分に語られていたそうですね。
椿:芸名じゃないのか、などと言われたこともありました(笑い)。統計を志望し、計の字が付く計数工学科に進学したので、名前からそういうコースを意図的に選んでいるのではないか、などと冷やかされたこともあります。でも名前の由来というのは、たんに父方と母方に関係する二つの字を重ね合わせてだけなんです。

2. 統計家は失業する時代に?

――統計学、そしてデータサイエンスの世界もかつてと今を比べれば、“隔世の感”があるのではないでしょうか。
椿:まずなんといっても、コンピュータの大進歩があります。私の大学の学部時代は、関数電卓などを使っていましたが、その後コンピュータの発達や自宅で使えるPCでデータ解析のスピード感がまったく変わりました。次に起きたのが、統計ソフトウェアの発達でした。20世紀末には通常のデータ解析でプログラミングすることもなくなり、データ解析用ソフトウェアなどを使うことが大半になりました。昔は自分はデータ解析をできると自慢できたのに、今や誰でもできる時代になったといえるかもしれません。最近では、生成AIに依頼することで、一定レベルのデータ解析を通じたモデリングは、普通の人ができるようになってきています。

実は2000年に日本統計学会の会報で、「統計家vsコンピュータ」というエッセーを書きました。そこでは近い将来、コンピュータの進化で統計家は駆逐され、失業するのではないかという趣旨の危惧を述べたのです。当時は夢だったのですが、むしろ多くの人がデータに基づいて問題解決ができる、すべての国民が統計家になりえる時代に本当になりつつあるという気がしています。
――そういう時代の中で、とりわけデータサイエンス、データサイエンティストといったものに注目が集まっているように感じられます。
椿:その通りです。アメリカ労働省の労働統計局が公表している各種職業の雇用状況のレポート(Occupational Outlook Handbook)によると、2024年時点でアメリカ合衆国には「データサイエンティスト」が約24万6000人います。米国政府は、それが10年後に34%増えるだろうと予測しています。この伸び率は全米職業分類の第4位です。AIの発達によってそういう専門職は淘汰されるのではないかという危機感があったのですが、実際には逆になるだろうということですね。アメリカ労働統計局はその理由として、我々の身の回りで統計やデータを使い、合理的な意思決定や問題解決をはかっていく機会が圧倒的に増えていくからとしています。発達しているAIを活用する主力の専門職の一つとして、アメリカでは学部卒業レベルのデータサイエンティストや修士修了レベルの「統計家(3.4万人)」が認められているわけです。当然日本でも同じ傾向にあり、実際日本の大学教育でもデータサイエンス学部の設立が広がり、この分野の教育を強化するようになっています。

3. 重要なのはデータに基づくマネジメント

――データサイエンティストだけでなく、データマネジメントも重要だという声を聞くことがあります。
椿:データサイエンスの存在感が大きくなっていく時代にあって、世界の学校教育が目指しているのはデータに基づく科学的問題解決プロセスを社会の常識とすることといわれています。本来、統計家やデータサイエンティストという数理科学専門職は、科学、技術、あるいはビジネスなどの分野で実際の問題を解いていくことに関わるものと定義されていて、ソリューションを上位の立場の人たちに伝えていく役割を担うものです。だから最も重要なのはそのデータ解析をどう活用していくかというプロセスに精通していることです。データのマネジメントも重要ですがデータによるマネジメントはもっと大切だと思います。

それについて考えていくと、日本で生まれ発展させてきたTQMは、ものすごく大きな貢献をしてきたと痛感しています。データ分析を活かすための「問題解決型QCストーリー」は、昨年度デミング賞本賞を受賞された安川電機の小笠原会長が指摘したように、まさにTQMの文法なんですよね。現状把握から原因を追及するためのデータを集め、解析していく。それに基づいて要因を突き詰め、対策を打つ。こうした文法、考え方は、国際的な教育の中でも一番重要だといわれているのです。
――そういえば、日本の文部科学省はSTEM(ステム:Science, Technology, Engineering, Mathematics)教育、あるいは芸術ArtsのAを加えたSTEAM(スティーム)を学習指導要領に盛り込むようになりました。AIやAoTなどの急速な技術の進展に伴い、各教科等での学習を実社会での問題発見・解決に活かしていくための教科等横断的な学習を推進していると、以前のニュースで見ました。
椿:そもそもSTEMやSTEAM教育はアメリカで生まれ、ヨーロッパ、アジアへと広がっていった考え方ですが、そのSTEMの中の テクノロジーとエンジニアリングは何が違うのか、ご存知ですか? そこでのエンジニアリングとはエンジニアリングデザインという概念を含み、まさに問題を発見して要因を分析し、対策を打っていくこと。それを国際的な教育分野ではエンジニアリングと呼んでいるわけです。

それは日本がTQCやTQMでやってきたことと、基本的には同じであるといえますよね。かつてはエンジニアリング・プロセスで使えるデータ分析手法などは限られていましたが、今は各国がそのプロセスにおいてAIでも何でも必要なツールを活かしていくという流れになっています。STEMやSTEAM教育の広がりは、そうした流れを後押しすることにも、きっとつながるはずです。

そうやって考えると、私自身は統計家の道を歩みながら、TQMの世界における著名な先生方や企業経営者の方たちと接することができて、本当に良かったと思っています。

4. トランスフォーメーションで価値を生み出す

――データサイエンスやデータマネジメントは当然ながら、今やブームのようになっているDX(デジタルトランスフォーメーション)とも密接に結び付くと思います。実際、今回のクオリティフォーラムでもセッションのテーマとしていくつか取り上げられています。ただそのDXに対する一般的な捉え方を眺めると、「デジタルを導入すればDX」といった声もけっこうあって、少々違和感もあるのですが。
椿:AIを含むデジタル技術を使うことが目的になっていたり、それがDXであると誤解されていたりする可能性も大いにあります。本当に大事なのはトランスフォーメーションで、つまり変容や変革が重要なキーワードなのですね。結局、デジタルを活かしたトランスフォーメーションによって、どのような価値を生み出せるのかということ自体を議論していくことが、経営層に求められる役割だと私は考えています。その肝心な土台なしで、単にAIを含む何かのデジタルツールを入れれば、何かができるというような理解では、ダメだということです。
――DX時代、DX化という観点で椿先生がいまとくに強調されたいのは、どのようなことですか?
椿:DXを進めるのであれば、それによって何をどのように実現させ、どこで他社と差別化できるのか、ということを方針として明確にしなければ不十分だと思います。自社の強み、弱みをきちんと把握したうえでどこにDXを採り入れ、どこで競争優位性を保っていくのか、例えば製造業ならフロント・ローディングに、つまり市場や商品のデザインプロセスのディジタル・トランスフォーメーションを強化しなければならないと思います。そういうことを明確に意識しないままトレンドを追いかけても、DX化の戦略をしっかりと理解し実践している企業には太刀打ちできないでしょう。それはAIでも、同じことだと思います。
――椿先生は多くの企業の方々とも話されていますが、このDX化についての印象は?
椿:今回のフォーラムで参加するセッションは、私が特別顧問を務めさせていただいている一般社団法人の品質工学会が協賛しています。この学会の中の次世代経営研究会で開催した発表会で、実は一つのエピソードがありました。その時のテーマは「事業環境変化に向けた製造業DXの課題と進化」で、名古屋国際工科専門職大学教授の山本修一郎先生が基調講演をされたのですが、会場で参加されていたある企業の方が、「DX化について我々は何をすればいいのか、もっと経済産業省が指導してくれたほうがありがたい」と話されたのです。それを聞いた山本先生は、すぐに怒りました。少し厳しすぎるかもしれませんが、「それを企業の側で決めなかったら、皆さんはダメになりますよ」とね。

つまりは、事業戦略自体・DX化方針の質を自律的に上げていかなければいけないということです。その企業自身が事業展開のシナリオをまず自分たちで作り、それをもとにいろいろな方針を展開していく。そうやって何か不具合やおかしなことが出てきたら、それに対してPDCAを回していく。何の戦略プランもないまま、事業に突っ込んでいってしまったら、どうなるかということですよね。事業戦略の中にDXやAIをどう組み込んでいくか、という発想が必要なのです。

5. DXとTQM

――DXの活用、推進とTQMの関わりについても、ご意見をお聞かせください。
椿:先ほどもTQMは日本の産業界において大きな貢献を果たしてきたと話しましたが、私は日本発のTQCあるいは現在のTQMに対して統計家として強い思い入れがあり、素晴らしいものだと捉えています。だから時代が変化、進化する中でDXといった新しい考え方を採り入れる場合でも、TQMという方法論に基づかなければ、少なくとも日本の企業文化の中ではうまくゆかないのではないかと思います。ですから、各企業が持っている理念やミッション、目的を達成するために、特にTQMの「方針管理」を使いながら、DXのあるべき姿を明確にして、それを組織でどうやって実現していくかというプロセスまで、経営トップやミドル層が共有し、しっかりベクトルを合わせることが絶対必要だと思います。
――そこをしっかり意識し続けなければいけない、ということですね。
椿:日本はTQMというオリジナルなマネジメント方法論を開発し、それを武器として活用しながらアジアの産業界や世界の実践的経営学の方たちからも尊敬されてきたのですから、企業や経営層にとって、日本の経営の重要な方法論であると認識していただきたいと思います。そして日本の産業界が国際競争力の高いDXを成功させるために、TQMの浸透は一つの必要条件だといってもいいでしょう。

6. “サービス”で付加価値を高める

――そのTQMと背中合わせになる重要な考え方として、品質経営というキーワードが年を追うごとに存在感を高めています。椿先生はかねてから「品質経営度調査」にも深く関わられてきたわけですが、今回の「クオリティフォーラム」でのご講演では「品質経営の変革の必要性」という視点も加えられています。変革の必要性というのは、とても興味深いところです。
椿:品質経営の土台となるTQMについては、9月初旬に開催された「品質国際会議’25(ICQ2025)」でも、インドから来られた企業トップは「TQMの原則はこれからも変わらない」と話されていました。私もまったく同感で、つまり品質経営の基本は、当面変わらないと信じています。

ただこれまでのTQMにインパクトを与えていくものとして、DXやAI以上に、サービス、つまりサービスで付加価値を創造するという考え方が重要になっていくと考えています。「製造業のサービス化」が進行しているといわれますが、それはサービスという視点で企業価値を実現し、高めていくということですね。その時、顧客は企業側が製品やサービスを提供する対象というだけではなく、顧客はパートナーとしてコ・クリエーションを担う関係になります。
――コ・クリエーションとは、つまり価値共創の関係?
椿:はい。企業はその顧客と共に価値を創造するということです。たとえばメーカーの製品開発者や設計者が顧客のために先進的、画期的な価値を実現させていくときには、質の高い顧客も一緒にやっていかないとサービスの価値はなかなか上がっていかないでしょう。製品に付随する機能やサービスなどについて、顧客と一緒になって新たな価値を創り出していくのです。

そのためには顧客の側が本当にいい品質、価値を求めなかったら、意味がありません。だから顧客の気付きを促進させ、顧客も成長させていかなければいけないと思っています。企業の側が顧客を育て、顧客と一緒になって品質を高めていかなければいけない時代になっているのではないか。TQMや品質経営の変革という観点から、そこが私としてはデジタライゼーション以上に重要なことではないかと考えています。
――今、椿先生が指摘された考え方に対する理解は、広がっているのですか。
椿:サービス・ドミナント・ロジック(SDL)という発想が欧米で生まれてから、少しずつ広がってきていると思います。SDLとは全ての経済活動を「サービス」と捉え、それを企業と顧客が「共に価値を創り出す」という考え方です。従来のようにモノ中心の考え方とは異なって、商品やサービスそのものだけでなく、顧客が製品やサービス利用するプロセスで得られるさまざまな可能性に重きを置き、継続的な関係性の中で価値を生み出すことを目指すという発想です。日本ではサービス学会が設立以来価値共創を強調しましたが、こうした考え方は国際標準化活動(ISO TC 312”Service Excellence”)でも取り入れられています。
――そうなるとTQMや品質経営の可能性、裾野はもっと広がっていきそうで、魅力も増しそうですね。
椿:そう思いますよ。顧客自身にとっても自分自身の成長が実現することで、企業も成長するのです。TQMで、顧客の質を顧客と共に改善すべき時代だと思います。そういう流れや方向性というのは、質の高い製品とそれに付帯するサスティナビリティ(持続可能性)など、さまざまな問題にも関わってくるのではないでしょうか。現代社会は、DX化やサービス化の流れなどいろいろな新たな動きが同時並行的に進みつつあり、すごい時代の真っ只中にいる気がします。その中で各企業も自分たちの製品やサービスを市場提供するだけでなく、それを顧客がどう使ってどうなるのかという「製品提供の前から後まで」を視界に入れて、付加価値を生み出していかなくてはいけない時代になってきたということです。その時代では顧客は顧客であるとともに良きパートナーとなるべきである、そういう発想も加えて、TQMを考えていく必要があるのだと思います。
――いま椿先生が話されたことをただ勉強のように聞くだけでなく、それをどう受け止め、次の実行に移していくかが問われそうな気がします。
椿:そう言ってもらえると嬉しいですね。いつも学会や研究会などで専門家の先生方と議論をしていても、「これを企業さんはやってくれるんですかね」という話に最後はなるんですよ(笑い)。今回のクオリティフォーラムに参加される企業の経営者の方々に、TQMや品質経営の良さや、その進化の方向性、自社ではどうするのかといった、自組織の将来像も含めて、改めてじっくり考えていただきたいですね。