クオリティフォーラムアーカイブ

クオリティフォーラム2025 登壇者インタビュー

「デジタルケミカルカンパニー」への戦略

~三菱ケミカルにおける製造DXの取り組みと課題~

三菱ケミカル㈱
DXソリューションデリバリー部
スマートファクトリーグループ長
奥津 肇 氏に聞く

聞き手:赤穂 啓子(経済ジャーナリスト)
奥津 肇 氏
高山 慎也 氏
三菱ケミカル㈱
DXソリューションデリバリー部
スマートファクトリーグループ長
1997年、三菱レイヨン(現・三菱ケミカル)入社。エンジニアリング開発部署でアクリル樹脂、炭素繊維、水処理膜等の製造プロセスの開発・工業化に従事。以後、製造部署にて繊維の生産技術開発を牽引。2021年からは全社でのDX推進を担う現部署へと移り、製造拠点のスマートファクトリー化を担当。

1. 素材産業が取り組むDX 現場作業を標準化

――素材産業がDXに取り組むうえで困難な問題はどういうところでしょうか。
奥津:一般論ですが、化学素材産業は設備が老朽化しているところが多い、ITの面でもレガシーシステムが残っていて、これを更新させることが大変と言われています。また、化学素材産業は製造設備に防爆仕様が求められており、工場が立地する所轄の官庁との調整が必要で、これが製造現場でデジタルツールを使う上で制約となることもあります。ですから、一気にDXを進めることができません。

当社で言えば、企業統合を続けてきた会社なので、事業所ごとに製造プロセスの仕組みが異なるところも課題です。さらに情報面では、化学材料のレシピやプロセスは秘伝とされる機密情報が多いので、クラウドに預けられないという声が社内に根強くあります。各事業所にこうした〝秘伝のたれ〟のような情報があり、この取り扱いに苦労しています。さらに、製造現場には暗黙知という言語化されていない知識がたくさんあります。こうした情報を標準化することをキーワードに、統一に取り組んでいます。
――2018年3月よりDX推進プロジェクトを始動しました。DXを社内に浸透させるうえで、最初に取り組んだことは何でしたか。他社でも応用できるポイントがあれば教えてください。
奥津:まずはやってみるという風土を作ることから始めました。心理的安全性に気を配って、社内への発信であるとか、コミュニケーションをとることから進めました。当時は「DXって何ですか」という時代で、ITとDXの違いも分かっていないのが実態でした。DXはXのトランスフォーメーションが大事で、それを進めるためには、デジタル化されていないと意味がありませんと訴えていきました。そして、会社全体の施策として事業所へのDX関連投資を本社主導で実施しました。当時からずいぶん時間がたって、最低限の武装はできてきているので、これからそれをどう使うかという段階になっています。先行投資した分をどうやって回収していくかという状況ですね。
――さまざまなプラントがある中で、標準化はどのように進めたのでしょうか。
奥津:当社が製造するものは、石油化学から粉やフィルムなど多岐に渡り、たくさんの製品、たくさんの製造プロセスがあります。だから一律にこういう技術を入れてというのは難しいのです。ただ、作っているものは違いますが、扱っているデータやKPIの指標は一緒にできると考えています。具体的には、KPIに対して必要な情報は特定できるので、そのデータはどこにあるのかについてアーキテクチャーを考えます。

例えばカレーを作る場合、温度を何度にするのか、煮込む時間をどれぐらいにするのかなど、管理すべき情報は特定できます。これは、シチューを作るときでも同じです。これが煮物になったり、ステーキを焼いたりする場合も必ずガスコンロのような加熱調理機が必要です。この加熱調理機のような共通性のあるインフラをすべての事業所に配備して、そこから得られるデータに共通性を持たせることにしました。この共通インフラになるデジタルプラットフォームは本社主導で投資をしました。導入当初は、「今までと火起こしのやり方が違うから面倒だ」といった声もありましたが、これをすることで、もし品質に問題が生じたときに、どこでどういう作業をしたのかが容易にわかるようになります。顧客からクレームが来た際も、今までだと、日時が経過していると原因究明が迷宮化しやすかったのが、データとして残っているので究明しやすい。こうした効果を説明して、理解を得るようにしています。現在こうした標準化作業をどんどん進めています。

まだ全部の情報をデジタル化しているわけではありません。現場のデジタル化で陥りやすいのは、なんでもかんでもデジタル化することで過大な負担が生じてしまうということです。当社は、デジタル化するかどうかの判断は、再度使うデータであるかどうかで決めています。例えば、コンビニでトイレの清掃をしたかどうかをチェックする表がありますよね。そういったその場で終わるような情報は無理にデジタル化する必要はないと考えています。

2. 協力企業を巻き込んだDXで生産性を向上

――スマートフォンのアプリを活用した「スマート定修」について教えてください。
奥津:化学プラントの定期修理(定修)には、協力企業を含めて何千人もの人が関わります。しかし、これまでは工程ごとに作業を進めるうえで、多数の指示待ち時間が生じていました。また、石油コンビナートにあるプラントは、その企業だけの判断で定修時期は決められません。多くの調整が必要で、人員の確保にも苦労が伴います。そこで、RFIDやタブレット端末を導入して、各工程の進捗状況の確認や実施状況の入力をスムーズに行えるようにしました。また、ウェブ会議アプリを活用して、会議室に集まることなく情報共有が行えるようにしました。これらは一つ一つは汎用技術の組み合わせでしたが、どちらからというとDXのXの方ですね。なぜこの取り組みをするのかについて、協力企業の従業員を含めて理解をしてもらうことに力を入れました。手書きによる報告作業が多かったものを、デジタル化することで、効率化させました。
――具体的にどのような成果がでましたか。
奥津:あるプラントでの定修作業では、待ち時間をトータルで2万時間削減することができました。これは効率化の面で大きな成果ですが、それとともに、人の管理においても有効でした。これまでは、実際のところ、その日に現場で何人の人が入って作業を行っているのかを把握できていないところもありました。しかし、人の管理ができないと、いざというときの安全管理に差ができます。どこでどういう作業を行っているのかを可視化することが重要でした。たくさんの人にツールを使いこなしてもらうことや、現場の作業に影響があることは確かにありますが、「そこはお互いやるべきだよね」という大きな合意を取りながらやっていきました。最近は定修の人員を確保することも大変なので、効率化は協力企業さんにとっても大きな課題です。お互いにとって意義のあることと理解をしてもらいながら進めていっています。

また、コンビナート全体にもDXを進めていくことが重要です。当社の三重県四日市市にあるプラントは、四日市コンビナートに立地していますが、現在、コンビナートにある企業全体に官庁も一緒になり、産学官でDXに関するコンソーシアムが作られて、様々な意見交換をさせて頂いてます。ある企業はドローンを活用したり、他のところは別のやり方をしたりと、それぞれの工夫を持ち寄って、全体で安全性と生産性の向上を進めています。

3. 全社にDXを浸透 スタープレイヤー社員を輩出

――DXを進めるうえで経営層と現場の間でどのような橋渡しをしたのでしょうか。
奥津:トップダウンで進めたこともありましたが、ボトムアップによるものもたくさんありました。当社だけでなく、日本のモノづくりは現場力にあります。現場からのアイデアが本当に大事です。DXへの取り組みを始めて少したってから、本社と事業所にDXの専任者を置いて、われわれDX部署と関係を強くしていきました。それが組織としての橋渡しになっていました。本社と拠点間で毎週のようにチャットで情報共有をしました。私たちは経営に近いところにいるので、経営側の情報を言語化して各部署に伝えました。一方、現場からも毎日のように連絡がきます。こうした場所を超えた密なコミュニケーションがこれまではあまりなかったようです。多くの場合は経営や幹部層から出た情報を各部署に伝えることになりますが、オンタイムではありません。われわれは即時にオンタイムでやっています。最近はわれわれを介さずに、事業所間でコミュニティが形成され、横同士でコラボ企画的なことをやっていることもあるようです。
――社員の自発性を引き出す仕掛けとして、特に効果的だった施策は何ですか。
奥津:まずはデジタル投資の促進をしっかりやるということだと思います。いろんなシステムを比較しながら全社標準になり得るものは積極的に入れていって、また日々進化しているDXツールはどんどん試してもらいます。このお試しの仕組みをわれわれはFSと呼んでいます。最近だとAIに関するツールがたくさん出ています。どれがいいか試さないと分かりませんが、工場が自分たちのコストでやれるかというと難しい。そこで、どこかモデル職場を設定して、そこでやってください、その費用は本社で持ちます、ただし、そこで得られた知見は全社で共有してください、と言ってやっています。結構これはうまくいっていると思います。

「DXみんなの広場」というものを設けて、社内事例の情報発信やっています。これは、Microsoft Teams上にDXのコミュニティを設けていて、約2000人が参加しています。結構こういうのが好きな社員はいて、たくさん発言してくれています。こうした社員をスタープレイヤーとしてしっかり捕まえて一緒になってやる側に入ってもらっています。あとはイベントや企画も行っています。いろんな事例について、こんなツール入れたらよかったということを紹介してもらっています。
――全社員がDXに関して歩調を合わせて取り組むうえで、どんな工夫をしましたか。
奥津:いままで反響が多かった企画として、例えばDXを製造現場でやるとなると、若い人はやりたいというが、課長はうんと言わないということが起こります。そこで、課長と若手それぞれにインタビューして、どう思っているのかを赤裸々に出してもらいました。お互いに会社の将来に良かれと思っているところは同じですが、若い社員が思っているターゲットと、課としてのターゲットがずれているということがあることが分かりました。若手はおもしろいからのめり込んでやっていますが、それで本来やるべき業務は大丈夫なのか、課長さんによっては、テクニカルな領域があまりにも深くなるようなら、自分の課ではなく外に頼った方がいいのではないかと考えているなど、双方の思いを聞くことができたのは大変参考になりました。
――「リバースメンター制度」を採用しています。どういう狙いがありますか。
奥津:リバースメンター制度は、社内でデジタルスキルの高い社員に手を挙げてもらい、経営層や事業所の幹部にデジタルスキルを教えてもらうというものです。まず経営トップ層に対して4か月実施しました。最初は経営層が「これを知りたい」とリクエストしたり、どこが分からないのかを探りながらやっていたりしましたが、今はかなり中身が洗練されてきました。どこの会社も一緒でしょうが、幹部メンバーはいろんなアイデアをもっているので、1つ伝えるとそれが5にも10にもなります。ですから、教える側の若手が、いっぱい知見をもらって帰ってくることもあったと聞いています。今は事業所の所長を若手が教えるというところまで広がっていますが、同じ部署で仕事をしているので、さっそく実際の業務でこれやろうというのがたくさん生まれています。若手社員にとっても意義のある取り組みになっています。

4. 生成AIの活用

――社内で生成AIをどう活用していますか。
奥津:デスクワークではかなり広範囲で活用が始まっています。ただ、情報を生成AIに入力するうえで、出していい情報といけない情報の線引きは厳しくしています。昨年度、ChatGPTを社内で思いっきり使ってみようというプロジェクトを行いました。これも手挙げ制で参加者を募り、500人が集まりました。そこから、抱えきれないぐらいのプランが出てきました。単純に費用としてかかるトークン代(使用料)と、本人たちが「これぐらい作業時間が削減できた」と申告してくれたものを比べると、活用した方が圧倒的に効果は大きいことが分かりました。2倍3倍以上です。これで可能性を感じました。今はもう少し深く活用することを始めています。
――製造現場への生成AIの活用はいかがですか。
奥津:製造現場は情報管理の問題もあるので慎重にやっていますが、最近の取り組みだと、作業手順を記載した作業標準書(SOP)に活用しています。作業者が行う作業がSOPどおりにできているかなどです。また、新人の教育にも利用し始めています。化学工場のマニュアルは、一つの作業に何10ページ分もあります。工程ごとにみれば膨大なページ数になります。これを自分の課の分だけでも一字一句覚えている人はそんなにはいません。SOPは情報量として圧縮されているので、危険情報とか、メタ情報、関係情報や社内ルールはこうなっている、最近あった事故事例はこうなどと、すべてを盛り込んだマニュアルを作成して、新人教育に使っていこうと思っています。

当社は現場の作業者にもiPhoneを支給しています。この中に自分たちで自由にアプリを作って使ってもらっています。若手はさかんに使っているようで、すでに1万5000個ぐらいのアプリがあります。会社として社員が作成したアプリを公開するポータルサイトも設けています。正直、ちょっと作りすぎかなと思うところもありますが、今は社員が自由に作ることを止めてはいません。ただ、社員が開発したアプリを他の人が使いたいとなったときに、作成した個人に問い合わせが殺到すると困るので、それなら、役に立つものはDX部署でしっかりブラッシュアップして、みんなに配れるようにするといった使い方を考えています。例えば製造現場では毎日点検業務がありますが、そのためのスマホアプリは、別の現場にも使えます。何らかの情報を入力して、それを承認してもらって、どこかに格納する。これは点検だけでなく、同じ業務フローなら他の部署でも使えるのです。

その時に重要なのは、業務のフロー図を共通化、標準化することです。作り方を標準化しないとバラバラになってしまいます。事業所が異なっても、業務内容が同じなら、同じフロー図になるようにしてきます。これができれば、業務フローを分析することもできるようになります。
――生成AIの活用で気を付けていることはありますか。
奥津:ツールは会社として契約したものを使ってもらっています。会社のパソコンで別のツールを利用すると分かるようになっています。ただ、プライベートのパソコンに会社の情報を入力することは分かりません。勝手に社内の情報を外に出さないようにという教育には力を入れています。これはいい、これはダメをしっかりと教えるようにしています。

5. DXを品質向上にいかす取り組み

――生産現場で、デジタル技術(AI・IoT・データ分析・デジタルツイン・マテリアルズ・インフォマティクスなど)が生産性向上、品質向上に果たしている役割を教えてください。
奥津:現場のデータをどう使って、どうつなげて利用するかの標準化作業はまだ道半ばですが、それが品質向上や生産性向上に効いているのは確かです。安全の向上や環境活動にもいい影響を与えています。それぞれの製造活動から出て、あるいはそれを通じた目的をどう使うかのインフラ整備をするこの活動を推進することは品質向上に結び付いています。

品質関係でいうと、最近ある品質の検査をしている部署が、業務を効率化したいということで、自らDX活動を立ち上げました。「現場で数値が出て終わりということが多い。それを読み取るものをいれて業務の効率化をしたい」ということでした。その時はいろんな種類の機械があり、いろんな表示がされている。それをタブレット端末で読み込むのですが、品質管理部門の数字は絶対に間違いが許されません。数値が間違っていたらしゃれにならないので、読み取りの認識率をいかに上げていくのかに苦労しました。今は99%の成功率になってきています。効率化を考えればそこまでの精度を追求することは難しいのですが、品質管理の部署は、効率化よりも間違えないことやコンプライアンスの方が重要です。そういうところにDXを入れることは難しいということも実感しています。

6. 「デジタルケミカルカンパニー」への道

――全社の目標として「デジタルケミカルカンパニー」を掲げています。
奥津:当社はグループ全体のDX戦略として目指すべき姿を「デジタルケミカルカンパニー」と定めています。これは、市場・社会・顧客の動きをリアルタイムにデータで捉え、オープンに議論しながら、アジャイルに意思決定できる組織のことです。デジタルを活用した期待効果として、経営のスピードアップをはかり、データを活用して根拠のある意思決定を行う。このあたりをしっかりやっていきます。

さらに属人生の解消にも役立てます。デジタルは属人性がないので、最高のパフォーマンスが常に出せるはずです。さらにデジタルを活用すると、人の能力を超えた深い理解や洞察、インサイトができます。今の意思決定より高度なことができるようになります。まだ道半ばではありますが、着実に進めていきます。

7. モノづくり日本への提言

――一般論として、日本の製造業はDXの取り組みが遅いといわれています。その理由や今後多くの企業がDXに取り組むうえでまず意識すべきことは何だと思いますか。
奥津:私の思いとしては、日本の製造業はもともとモノづくりのスキルや組織力は高いです。一方でその高いポテンシャルをデジタルと結び付けていません。これがもどかしいのです。まずは、もともと持っている強いものを追求するのが先で、デジタルは道具でしかありません。デジタルは飛び地ではなく、新しいキーワードとして、これまでの製造業が取り組んできたことを効率的、効果的に発揮することに使うだけです。あくまで主役はモノづくりの力を引き上げることで、デジタルはそのためのツールにすぎません。こうした考えで取り組んでもらえればいいのではと思っています。
――経営層の意識がデジタルに向かわないことも指摘されていますね。
奥津:モノづくりをする責任者がどこまでデジタルを使いこなせるか、どこまで高められるかが大事です。ちゃんとツール、武器として認知してもらえるところに持っていく必要があります。まずは地道に、現場で小さな成果をいくつも積み上げていくことが大切です。当社はモデルプラントとしてまず一か所のところでやってみることから始めました。それを見て、ああこれを増やせばいいのだなと思ってもらうことで拡大させていきました。
――今回のクオリティフォーラムで参加者に伝えたいことは何でしょうか。
奥津:DXに何かとっつきにくいという思いを持っている方もいるようですが、私は「トランスフォーメーションウイズデジタル」の方が自然ではないかと思っています。トランスフォーメーション、変革することが大事で、デジタルは他の道具、例えばスパナのようなものと一緒という考え方です。道具をどう使うかについては、あまり業種で抱えているよりも、オープンでやったほうがいいでしょう。業種を超えた情報交換を是非やりたいと思っています。レシピは各社で隠せばいいが、道具の使い方については、いろいろな方と交流させてもらいたいのです。是非さまざまな業種の方々と話しをしたいと思っています。