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クオリティフォーラム2025 登壇者インタビュー

DN7を活用した
駆動型品質管理とアジャイル改善

デンソー株式会社
モノづくりDX推進部
工場DX室データ解析課
常勤嘱託
吉野 睦 氏に聞く

聞き手:伊藤 公一(ジャーナリスト)
吉野 睦 氏
吉野 睦 氏
デンソー㈱
モノづくりDX推進部
工場DX室データ解析課 常勤嘱託
1957年 富山市生まれ(現在は名古屋市に在住)
1982年 名古屋工業大学大学院金属工学専攻修了
1982年 日本電装(現デンソー)入社,生産技術開発部
1985年~ 電子製品の高密度実装技術開発
1993年~ 電子製品洗浄の脱フロン化技術開発+推進
1998年~ 電子製品はんだ付の鉛フリー化推進
2001年~ パワーエレクロトニクス接合技術開発
2008年 博士(工学)取得(応用統計)(とは言っても実務家)
2008年~ 品質管理部にて品質工学の全社展開を推進
2010年~ DP安全設計推進室にてISO26262対応を推進
2012年~ 品質管理部TQM推進室にて全社SQCを推進
2012年~ 社内データサイエンス教育を開始、講師を務める
2019年~ 生産技術部(現モノづくりDX推進部)にて工場IoTのデータ解析に従事

1. “二刀流”生活の末に獲得した大型案件

――吉野さんは、どのような経緯で統計解析に携わるようになったのですか。
吉野:大学では金属工学を学びました。そもそも統計学とは無縁でしたが「この講義は聞いておいたほうが良い」と先輩に勧められて統計学を受講したのです。専攻科目の実験では「nイコール1」が当たり前。ところが、統計学ではばらつきがある。一筋縄ではいかない。そういう揺らぎに興味をもちました。

デンソーに入ってからは実験計画法に関わる社内の講義を受けました。会社が招いた講師は品質工学のタグチメソッドで知られる田口玄一先生です。設計段階で品質を作り込む手法について直に聞けたのは貴重な経験でした。恐らく、先生の謦咳(けいがい)に触れた最後の社員ではないかと思います。
――入社後、生産技術畑一筋だった吉野さんは47歳の時に母校の博士課程に入り、社員との“二刀流” 生活を始められましたね。
吉野:週に一度、有給休暇を利用して経営工学を学びました。仁科健先生が主宰する若手の研究会にも参加しました。ある日、ずっと温めていたアイデアを仁科先生に話すと『それを膨らませればドクターを取れる』と背中を押してくれました。その言葉を励みに3年間の成果を『デジタルエンジニアリングにおける実験計画法の活用』としてまとめ、ドクターにもなりました。
――50歳の役職定年を機に、生産技術部から品質管理部に移ると、早速、これまでの経験を生かす仕事が舞い込んできたのだとか。
吉野:スカイアクティブエンジンを開発中のマツダを攻めあぐねていた営業部門から相談を受け、コンペとなった11製品のプレゼン資料を設計部門と一緒になってすべて作り直したところ、9製品を獲得することができました。

社内でタグチメソッドに関わった最後の世代ということで声がかかったのです。マツダの求める「ロバスト設計」はタグチメソッドの要点です。それを最大限に注ぎ込んで提案したことが評価されたのだと思います。品質管理部に移って最初に手がけた大型案件だったので今でも印象に残っていますよ。

2. 新旧の手法の谷間にハシゴをかける

――「データサイエンスの伝道師」という周りからの評価をどう受け止めていますか。
吉野:自分からそう言ったことはないのですが、講義が分かりやすかったといわれることはあります。それは、話し手の力というよりも、聞き手の受け入れ態勢によります。

日科技連でも講義をもっているのですが、受講者はある程度の現場経験を積んだ人が大半ですから、いきなり新しい話をするのではなく、聞き手の知識を踏まえて説明します。

初めからデータサイエンスの話から入るのではなく旧来の手法との比較論から始める。つまり、SQC(Statistical Quality Control=統計的品質管理)では破綻してしまう問題もデータサイエンスなら、難なくクリアできるという風に説くのです。耳慣れない話を唐突にされても聞き手はちんぷんかんぷん。ですから、互いに分かっていることのおさらいから始めると理解されると思います。
――日科技連の講師として講義する際にはどんなことに心がけていますか。
吉野:新型コロナウイルスの蔓延を機に講義はオンラインになってしまいましたが、それ以前のリアルな講義では二択の質問を投げかけて理解度を確かめながら進めていました。現在は受講者の表情が見えないので、一まとめに質問を募り、ステップ・バイ・ステップで話すようにしています。

技術開発をめぐる歴史を考えると、私が育ったSQCの世界とデータサイエンスとの間には「死の谷」のような狭間があると思うのです。その両者にハシゴをかけるような講義が私の理想なのですが……。

3. 「個を測って系を知る」ことの面白さ

――ハシゴをかけられる側のデータサイエンスという言葉の認知度も当初はそれほど高くなかったのでは。
吉野:はい。社内ではまったく通じませんでした。聞かされたほうもポカンとするばかり。しかし、品質管理部に異動して数年後、今日のデータサイエンスの到来を予兆させるような動きが世界的な規模で起こります。

そういう潮流に合わせるように『パターン認識と機械学習』(クリストファー・ビショップ)という本が話題になりました。全国の多くの企業がこの本を教材とする勉強会を相次いで立ち上げたほどです。デンソーでも品管にいた私が呼びかけて始めました。

若手が10人ほど集まり、定時後に隔週で催したのですが、参加者が面白がって、当初計画の半年を超え、結局1年間続きました。現在では年度計画に「データサイエンスの推進」が明記されるまでに浸透しています。
――データ解析の意義や面白さはどのような点にあるとお考えですか。
吉野:私の座右の銘でもあるのですが「個を測って系を知る」ということです。1個1個データを見ることで工程全体の問題の抽出とか改善とかにつなげることができるからです。例えば、製造ラインのどこかで不良品が見つかったとします。しかし、その不良品をどれだけ解析しても根本的な原因は分からない。そのデータが生まれた背景が分からないからです。

ところが、製品1個1個の動きに関連するその他の因子のデータの変化を見ると不良の原因がなんとなく分かってくる。不良品を見ることは誰でもできます。しかし、肝心なのは不良品を見るのではなく、良品を含めたデータから工程の様子を知ることです。ですから、品質管理に携わる人は1個だけ検査するのではなく、20個とか30個とかを抜き取るのです。
――まさに統計を駆使して問題解決にあたるという姿勢ですね。
吉野:大学時代の講義を思い出しても、とにかく役に立つから学んでおけという感じでした。実際、品質管理では「何個か抜き取った結果、これくらいの幅がありました」という人と「何個か抜き取ったのに、なんでこういう変化が出るのだろう」と捉える人がいます。

私は後者の立場です。そうすると、不良品の発生原因が設備の異常によるのではないかという仮説を立てることもできる。これこそが「個を測って系を知る」面白さです。

4. ビッグデータ時代のQC七つ道具を目指す

――今回のご講演のキーワード「DN7」はどのような経緯で開発されたのですか。
吉野:DN7は工程データを可視化するソフトで、Digital Native Quality Control 7 Toolsという単語の頭文字をつなげたものです。

何もないところから不意に生まれたのではなく、データ解析課のメンバーが業務で毎日試行錯誤していた可視化作業がベースになっています。課員はいずれもプログラム言語が扱えるので、それを使ってさまざまなグラフを来る日も来る日も作っていました。

そんなある日、当時の副社長だった若林宏之さんの部屋に呼ばれました。用件は「次の日本品質管理学会の会長を受けることになったけれども、何か“手土産”になるような知恵はないか」という相談でした。

トヨタ自動車にはトヨタ生産システムがある。デンソーにはQRコードがあるけれども品質管理には直接関係がありません。そこで、課内でほそぼそと続けていたDN7の構想を話しました。
――若林さんの受け止めはいかがでしたか。
吉野:非常に興味をもってくれました。若林さんはもともと、新たな時代の到来に応じて従来の「QC七つ道具」を変革する構想をもたれていたようでした。それなら、私たちの温めているDN7が使えるのではないかということで腹を割った意見交換をしたのです。

DN7の意義は従来の品質管理を学び、QC七つ道具が分かっている人たちがDX時代に進むときに足りないと思うものを整えることにあります。しかし、いきなり新しい概念を訴えても受け入れられにくい。そこで、従来のQC七つ道具を踏まえたビッグデータ時代のQC七つ道具というコンセプトで臨みました。

一方、課内では、社内で膨大なデータを集めながら、それらがまったく活用されていないことに対するフラストレーションのような戸惑いもありました。宝の持ち腐れだからです。そこで、DN7をQC七つ道具のビッグデータ版として位置づけました。
――集められたデータに基づいて意思決定や行動を行うというわけですね。
吉野:それこそがデータ駆動型の品質管理、つまりデータドリブン(Data Driven)の手法なのです。私たちがDN7で目指したのは、そういう仕事の進め方を実現することでした。若林さんとは共通認識を得られていたので、課員も交えて熱心に磨き上げていきました。

5. 公式HPから誰でもダウンロードできる

――DN7は従来の手法と何が違い、現場ではどのように活用されているのですか。
吉野:基本的な役割は従来のQC七つ道具と同じです。ただし、それをビッグデータ時代にフィットするように足したり引いたり、統合したりしたわけです。

もともとは、これまでのQC七つ道具で仕事をしてきた人がビッグデータ時代になっても違和感なく使えることに重点を置いています。DN7が目指すグラフは10個でも20個でも提示することができます。しかし、それは利用者をいたずらに混乱させるだけ。そこで、なじみのある「7」になるようにやり繰りして、製造現場におけるDX化の促進を目指しました。
――公開されたDN7の画面では、7つのグラフを確認することができますね。
吉野:DX版の七つ道具として無償公開しているので、誰でもダウンロードすることができますます。グラフは「全数プロット」「リッジラインプロット」「カレンダーヒートマップ」「散布図」「パラレルコーディネートプロット」「サンキ―ダイアグラム」「共起グラフ」の7種。

このうち、全数プロットは旧手法の「管理図」に相当します。同様に、リッジラインプロットは「ヒストグラム」、カレンダーヒートマップは「チェックシート」、サンキーダイアグラムは「特性要因図」、共起グラフは「パレート図」にあたります。

6. 百点満点が2年で50点になる進化速度

――DN7を用いることで、どのような改善効果がもたらされるのですか。
吉野:端的にいえば、可視化が非常に楽になりました。よく知られていることですが、ヒストグラムは山の形やばらつきからデータの分布を見るのに役立ちます。層別は分析対象のデータを分けるための手法です。

仮に、A設備とB設備を比較するとき、従来は別々に描いたヒストグラムを重ね合わせるというようなことをしていたわけですが、非常に手間がかかる。DN7を使えば、そういう作業がマウス操作で瞬時にできます。

例えば、先ほど紹介したリッジラインプロットでは、密度曲線を時系列に何層も重ねたグラフによって、打点では見えなかった二山化などの分布変化を可視化できるのです。
――DN7を世に出した立場から百点満点で自己評価すると何点をつけますか。
吉野:発表時は百満点でした。しかし、現在は50点だと思います。技術が時々刻々と進化しているからです。現在のバージョンは4ですが、小数点以下2ケタまであります。平均2週間に1度くらいのペースでバージョンアップしている計算になります。

ですから、現時点で百点のレベルを打ち出しても2年後には50点になるかもしれないと思います。進化のスピードはそれくらいすさまじい。DN7が「DX版のQC七つ道具」と称されるゆえんです。

7. データの読み解き方が問われる時代に

――データを扱うときのリテラシーはSQC時代と比べてどう変わったとお考えですか。
吉野:SQC時代のデータリテラシーはデータの取り方やまとめ方を指していました。サンプリングの世界ですから。これに対して、現在のデータリテラシーはデータの読み解き方であると思います。

データの読み説きを惑わせるのはSNSの世界でもしばしば問題になるフェイクやステマ(ステルスマーケティング)です。ビッグデータを見るうえで最も注意しなければならないのは、データにかかるバイアスです。その意味で、データを見抜く力が問われているともいえるのです。
――統計学の世界では「シンプソンのパラドックス」がしばしば話題になりますね。
吉野:そうですね。この現象では、データのグループを分割して分析すると、全体の傾向とは逆の結論が導き出されます。例えば、ある治療法は男女別々で見ると効いているのに、全体を統合すると効かないという結論になるといったことが起こります。

ですから、データの読み解き方が問われるのです。データに振り回されるのか、データを主体的に使うのかということが問題になると思います。ここでは、データが生まれた背景(データフレーム)に着目し、女性に新療法が多いというバイアスに気付くことがポイントだと思います。

8. データサイエンス目線で進む問題解決

――社内ではどのようなデータサイエンス教育が行われているのですか。
吉野:大きな項目では、データサイエンスの基礎的な要素である「カーネルトリック」「正則化法」「ベイズ統計学」を手ほどきします。社内では朝から晩まで丸2日をかけてじっくり教えます。

その成果を披露する場として毎年、事例発表会を開きます。少し前まではSQCの手法に関するものがほとんどでしたが、最近ではデータサイエンスを使ったビッグデータの解析が主流になっています。

それは取りも直さず、現場の問題解決がデータサイエンスの目線で行われていることの証しだと思っています。
――国内外におけるDN7の普及率をどのように見ていますか。
吉野:国内よりも海外のほうが関心が高いという印象です。普及率を具体的な数字では表しにくいのですが、特別な宣伝をしているわけでもないのにダウンロード数ではブラジルや東欧の伸びが大きいようです。

ソフトウエアは世界の主要言語に対応していて、画面上で選択できるようになっています。ソースコードを保存したzipファイルをGitHubから落として解凍するだけで利用できるので、海外の技術者が興味を示してくれているようです。

9. 有事ではなく平時のデータを読み解く

――本講演で聴講者に伝えたいメッセージがあればお話しください。
吉野:ビッグデータには落とし穴が2つあります。1つはバイアスの存在。もう1つは既存データの周辺にはデータがないことです。計画的集めたデータと違って、日常的なランダムデータは集まるところにしか集まらない。ですから、その外側のモデルがまったく作れないのです。

また、製造業のDXでは、有事ではなく平時のデータの読み説きが重要です。そのためには鋭い観察眼をもつこと。平時のデータ観察は異常検知や予兆検知につながるからです。そういう仕事の仕方が問われると思っています。