泉 茂伸 氏
ダイキン工業株式会社
常務専任役員
常務専任役員
1983年にダイキン工業入社。
電子機器事業部 開発課、電子技術研究所を経て2002年に空調生産本部 デバイス技術グループ主任研究員。2004年に大金電器機械(蘇州)公司 董事長・総経理として中国に赴任。2009年、珠海格力大金機電設備公司 副董事長・総経理を経て、2012年から大金空調(上海)有限公司 董事長。
現在は、大金中国投資有限公司 董事 総経理、 大金空調(蘇州)有限公司 董事長(非常勤)、 大金電器機械(蘇州)有限公司 董事長(非常勤)。
電子機器事業部 開発課、電子技術研究所を経て2002年に空調生産本部 デバイス技術グループ主任研究員。2004年に大金電器機械(蘇州)公司 董事長・総経理として中国に赴任。2009年、珠海格力大金機電設備公司 副董事長・総経理を経て、2012年から大金空調(上海)有限公司 董事長。
現在は、大金中国投資有限公司 董事 総経理、 大金空調(蘇州)有限公司 董事長(非常勤)、 大金電器機械(蘇州)有限公司 董事長(非常勤)。
――泉様は1983年にダイキン工業に入社されました。数ある企業の中でなぜダイキン工業を選んだのでしょうか。
泉:大学の研究室からの紹介でした。ダイキンに勤めていた先輩から実に「いい加減な会社」であると聴いたことがきっかけです。これは「大雑把で投げやり」ということではなく「程度が程よい=よい加減」という意味です。自由な社風で風通しがよく、好きなことを自由にやらせてくれる、ということも言っており好感を持ちました。
――実際に入社されていかがでしたか。
泉:これは本当にその通りでした。一年目から新規事業の設計業務を任せてもらいました。
――入社当初は、どのようなお仕事を担当されたのでしょうか。
泉:一年目に電子機器事業部に配属され、グラフィック・ディスプレイの設計を担当しました。当時社長だった山田稔さんが「猛暑が来れば儲かり、冷夏であれば業績は厳しくなる、という天候で業績が左右されるのは経営とは言えない」と将来への危機感から、3つの新規事業を立ち上げました。その中の一つが電子機器事業部だったのですが、私の大学の専攻は電機であり、電子回路の設計はもちちん専門外で、本当にこの時勉強をしました。その後10年以上この業務を担当しました。
当時、NHKで「電子立国 日本の自叙伝」という番組がありましたが、その中でも「コンピュータをやったら死人が出る」の比喩が出されるほどでした。これは寝ずに開発をするためそう表現されたわけです。私もまさに死ぬほど仕事をしました(笑)。今の時代では考えられません。ただ、これがその後仕事をしていく上で本当に生きましたね。
当時、NHKで「電子立国 日本の自叙伝」という番組がありましたが、その中でも「コンピュータをやったら死人が出る」の比喩が出されるほどでした。これは寝ずに開発をするためそう表現されたわけです。私もまさに死ぬほど仕事をしました(笑)。今の時代では考えられません。ただ、これがその後仕事をしていく上で本当に生きましたね。





